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2019年01月27日 身近に使われる仏教用語③

みなさんこんにちは。

 

お寺への訪問、お寺での企業研修、仏教協会でおなじみの日本仏教協会、ブログ担当の龍造寺(りゅうぞうじ)です。

 

前回、前々回でいくつか仏教に由来する日本語をご紹介しました。

 

今回はその最終回として、仏教にまつわる日本のことわざをご紹介します。

 

日本のことわざの中には、仏教に由来するものがたくさんあります。

 

昔の日本においては、日々の生活と仏教が現代よりもより深く結びついていたため、おのずと仏教と関わりにある言葉が誕生した背景があります。

 

仏教に由来することわざは、以下が挙げられます。

 

釈迦に説法(しゃかにせっぽう)

 

「よく知り尽くしている人に対して、ものを教えようとする愚かさ」のことを言います。お釈迦様に説法をするような行為という例えですね。昔の人の例えの独特さや上手さがうかがえる言葉です。

 

鰯で精進落ち(いわしでしょうじんおち)

 

「努力が報われず、がっかりしてしまうこと」を意味することわざです。「精進落ち」とは、肉や魚を一切口にしない仏教の修行期間が終わって、肉や魚を食べることを言います。このせっかくの精進落ちを鰯のようなつまらない魚でするという意味が本来です。今やあまり獲れず、高級魚になってしまった鰯ですが、昔はありふれた魚だったんです。

 

嘘も方便(うそもほうべん)

 

「時と場合によっては、本来は良くない嘘も手段として必要なこともある」という意味の有名なことわざですね。「方便」とは、仏教用語では「便宜的な手段」を意味します。一般の大衆を悟りの世界へ導くためには、便宜的なわかりやすい表現を仏様も利用することから生まれた言葉です。

 

信心は徳の余り(しんじんはとくのあまり)

 

「日々の生活にゆとりがあってこそ、信心は生まれる」という意味です。信心とは仏教の言葉で「信仰心」のことを言います。「信心深い」という言葉もありますね。

 

本ブログでは、身近に感じる仏教に関連することを切り口に、仏教についてわかりやすくお伝えしていきます。

 

今後ともご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。

 

龍造寺

 

 

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